
「これ、任せるね」
そう言ったとき、自分の中では「1から10まで任せたつもり」でした。
目的も伝えている。
やり方も、一応の形は見せている。
途中で手を出さないのも、できるようになってほしいから。
それが「任せる」だと思っていました。
任せたはずなのに、違う形で進んでいた
でも、実際は違いました。
気づいたときには、想定していたものとは違う形で進んでいる。
途中で止まっていたり、やり方が変わっていたり。
結局、後から手を入れることになって、余計に時間がかかることもありました。
任せたつもりと、受け取られ方
このズレは、昔からあったのかもしれません。
私がまだ店長ではなかった頃、当時の店長に「ここ任せるね」と言われることがよくありました。
でも実際は、最初から任されていたわけではありません。
ある程度まではその人がやって、最後の面倒な部分だけを渡される。
いわば、10のうちの“最後の10だけ”。
それなのに後から、「前に教えただろ」と言われることもありました。
でも、1から10までの流れを知らない状態では、全体は理解できていません。
任せられたつもりでも、実際は“部分的に渡されただけ”でした。
言われた側になったとき
何もわかっていない状態で任されるほど、困るものはありません。
どこまでやればいいのかもわからない。
どこからが自分の判断なのかも見えない。
任された以上はやるしかないけれど、手探りのまま進めることになります。
さらに、任せると言われたのに、途中で口を出されたり、手を出されたりすることもありました。
結果として、任されたはずなのに、最後まで任されていない状態になることもあります。
そして、頑張ってやったあとに「違う」と言われると、余計にしんどくなります。
任せるという言葉は、思っている以上に重いのかもしれません。
言葉のズレについては、こちらでも書いています。
任せ方で動きが変わる
任せ方によって、結果は大きく変わると感じた出来事がありました。
夏に、ラムネと塩分チャージのPOPを任せたときのことです。
いつも私の作り方を見ているから大丈夫だろうと思い、「ここは任せるね」と伝えました。
出来上がったものを見ると、「暑い」という文字が一番大きく、目立つ色で書かれていました。
でも本来伝えたかったのは、「塩分と水分チャージ」です。
「暑い」は前提であって、伝えるべき主役ではありません。
本人に「どこが大事だと思った?」と聞くと、「塩分と水分チャージ」と答えました。
つまり、理解はしているのに、表現の優先順位がズレていたのです。
任せたつもりでも、意図までは伝わっていませんでした。
指示の伝わり方については、こちらでも触れています。
任せ方を変えた
この経験から、任せ方を変えました。
いきなり任せるのではなく、まずは1から10までの流れを説明するようにしています。
その上で、簡単なところから少しずつ任せていく。
最終的に、一人でできるようになること。
それが本当の意味での「任せる」だと思うようになりました。
また、任せた後に意図と違う場合も、黙って修正することはしません。
一緒に直すか、時間がなければ、直していいかを本人に確認するようにしています。
任せるというのは、ただ渡すことではなく、任せられる状態をつくることなのかもしれません。
ただ、「任せる」がすべて同じ意味ではないとも感じています。
どうでもいいから任せる、というわけではないのに、そう受け取られてしまうこともあります。
逆に、失敗しても後からフォローできることは、あえて試しに任せてみることもあります。
どこまでできるようになっているのかを知るために、あえて任せる、という使い方です。
どことなく、子育てに似ているとも感じました。
子どもも「自分でやりたい」と言ったことは、とりあえずやらせてみることがあります。
見ていてハラハラすることでも、最終的にできるようになるために必要な時間だと思うからです。
自転車も、最初から乗れる人はいません。支えながら、少しずつ手を離していく。
任せるというのは、そういう過程のことなのかもしれません。
まとめ
「任せる」という言葉は、思っている以上に曖昧で、ズレやすい言葉です。
任せたつもりでも、相手には部分的にしか伝わっていないこともあります。
何もわからないまま任されることもあれば、途中で手を出されて、最後まで任されないこともある。
同じ「任せる」でも、その中にある意味は人によって違います。
だからこそ、任せるというのは、ただ渡すことではなく、任せられる状態をつくることなのかもしれません。
そう思ってから、任せ方も、少しずつ変わってきました。



